top of page

​大師匠&小師匠の紹介

姜氏門二代伝人 鄒淑嫻 (Zou Shu Xian)

姜氏門二代伝人 ゾウ スゥシェン 師爺紹介

1925年、中国四川省重慶銅陵県にて、富裕な名門の末女として生まれる。

幼少より体が弱く、各種慢性病に悩まされ、ついには医者にも「20歳までもたない」と宣言される。

日本の重慶空爆を機に上海へ移住。浦東の名家沈家に嫁ぐ。

上海の名士の紹介で孫禄堂先師の徒弟である孫家拳名師、程殻如老師につき孫・楊式太極拳

を学び、半年余りで心身共に壮健になったことから、太極拳を一生の仕事にすることを決意する。

程師亡き後、師の紹介ですでに教えを受けていた、国民党の武術人材養成機関『中央国術館』の元教授、形意拳・八卦掌・秘宗拳名家、姜容樵師爺の徒弟となり、同時に義理の親子の縁もぶ。
(伝人中、姜家の一員として唯一家譜にその名が記載されている。)
以来、文化大革命に至るまで、上海を代表する女流武芸者として、また姜氏門第二代継承者として、常に上海武術界をリードする存在であった。この頃、姜師爺 の紹介で、傳鐘文・張長信・張某各名師に、夫々楊氏太極拳、六合八法、功力拳を学び、沙国政師兄や中央国術館の沈師兄より夫々通臂、八仙剣、八極拳などを 得る。

伝統文化、芸術には冬の時代であった文革期間は12年間、只師伝の道流を絶やさないようにと、人目を避け、ひたすら専心研究を重ね、武芸は純化し、姜容樵師爺の衣鉢を継ぐこととなる。
解放後、中国の南北に限らず、世界各国からもその武芸と、高潔で暖かな人柄に惹かれて、多くの学生が、師の下に集うようになった。現在は後進の指導を持って自娯としている。
上海に於ける八卦門代表人物として、上海武術協会直属の長老会「掌門人会議」に所属。八旬を越える今日でも上海の地でその伝統を守る存在である。

鄒老師に学んだ学生は数千人を下らないが、その中に7名の入室徒弟がいる。日本在住の伊与久大吾はその1人として、母国於いて『姜氏門内功武術研究会』を主宰し、東洋伝統の心身観を伝え、人々の健康に奉仕している。

伊与久大吾(Iyoku Daigo)

1973年生まれ、千葉県出身。

武名 誠博 本名 大吾 号 松風。

東京芸術大学美術学科卒。

真田氏旗下、吾妻七騎衆伊与久党後裔。日月流剣術の最後の伝承者、伊藤貞三の孫として

幼少より祖母や父に武術を学び、高校生の時、太極蟷螂拳、根本一巳老師に出会い中国武術

の門を叩く。

以降、日本と大陸を行き来ししながら様々な武術流派を学び、多くの武術と交わり見聞を広める。

主に薫陶を受けた流派としては、太極蟷螂拳、開極拳、我眉派洪門功父、八天無双流棒術、小林流空手道、浅山一博流躰術、諏訪伝承柔術、弾生流手裏剣術など。

​1996年に形意、八掛名家。

鄒淑嫻老師に師事し、1999年に拝師、正式に張派姜氏門内功武術研究会を組織、現在長野県を本拠として、今日に至るまで師の徒児として日本において伝統体術の普及と発展に力を注いでいる。

大和躰術協会本部 「錬誠館道場」館長。

​© 2016by taikyokuken. canpanyu  created withhiroko.komuro3

bottom of page